8月, 2016年
松江先人記念館に資料展示する松江が生んだ偉人達
2016-08-05
松江市名誉市民 若槻 禮次郎【1866(慶応2)年~1949(昭和24)年】
大蔵大臣・内務大臣を務める普通選挙法・治安維持法にかかわる。1930年ロンドン軍縮会議首席全権となる松江が生んだ総理大臣。 大正15年・昭和5年の2度総理となる。 極東軍事裁判所キーナン首席検事評「若槻禮次郎は民主的政治家・平和愛好者」。 |
松江市名誉市民 岸 清一【1867(慶応3)年~1933(昭和8)年)】
弁護士・国際弁護士として活躍する。 アマチュアスポーツの発展に尽くす。 ロスアンジェルス五輪に自費で選手団派遣。 ヘルンの遺品(小泉家から買取り、八雲会に寄託)・岸運動場等を松江市に寄付等。 育英会を作り多くの学生を給与の奨学金で無償の支援。 |
松江市名誉市民 岡崎 運兵衛【1850(嘉永3)年~1919(大正8)年】
市議・県議・衆議院議員等で活躍。 松江新聞等で活発な言論活動をする。 山陰中央新報社の基礎を作る。 銀行・商工会議所・電灯会社・製糸会社等を創設し、近代化の先駆的役割を果たす。 小原雲心が上阪時に借りた金を返す際、餞別だと言って受け取らない。 |
松江市名誉市民 石倉 俊寛【1880(明治13)年~1975(昭和50)年】
戦前16年間、4代松江市長を務める。 松江市営バス・市営ガス事業、東本町整備、松江大橋・新大橋架替え、新大橋通建設、八雲記念館・松江市公会堂建設、松江野球場建設等、松江市の近代化発展に尽くす。 |
松江市名誉市民 平塚 運一【1895(明治28)年~1997(平成7)年】
自画自刻自摺の技術を身に付け、白黒版画への確立に寄与する。 浮世絵芸術の息吹を木版画の世界に甦らせる。 棟方志功等を指導する。 アメリカ各地で個展開催。 版画の普及に努める。 世界的な版家画として活躍する。 |
小原流創設者 小原 雲心【1861(文久元)年~1916(大正5)年】
大阪で彫刻家をめざすが、体が弱く華道の道を進む。 西洋花の増加に伴い盛花の道を開拓し、小原流を創設し華道の新しい流れを作る。 岡崎運兵衛に返す金を松江公会堂建設資金(総建設費約16万円)として5万円を市に寄付、後小原家として総計10万円を寄付。 |
天才彫刻家 荒川 亀斎【1827(文政10)年~1906(明治39)年】
幼少から絵や彫刻を好み、15歳で松江市寺町常教寺鐘楼に龍の彫刻をする。 多くの作品を残す。 松江を訪れたヘルンが亀斎の才能を見出し、ヘルンは終生亀斎を支援する。 シカゴ博覧会出品の代表作「稲田姫像」は出雲大社宝物殿に収蔵されている。 |